A.A.TH ああす設計室 blog

アクセスカウンタ

zoom RSS 光から木陰へ

<<   作成日時 : 2012/05/08 19:24   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

少し前になりますが、フェルメールの絵を3枚同時に見ることが出来ました。
<手紙を読む青衣の女>、<手紙を書女>、<手紙を書く女と召使>の3枚です。



絵の裏側に光源でもあるかのように輝く光の表現は、本当に「凄い」につきます。
その生きたような光を編み出すにいたり、
フェルメールはカメラ・オブスクラを用いていたとして、浅田彰さんは次のように言います。

『カメラ・オブスクラが可能にした最大の発見は、微妙な光の効果にあったといって良い。カメラ・オブスクラは現在のカメラと違って焦点深度が浅いため、近くの物から遠くの物へと、そのつどピントを動かしていかなければならなかった。そのとき、少しピントのずれたハイライトの部分は、大きな光のしずくとなって振え、輝いただろう。(中略)
点描の技法を中心として、フェルメールは、光をその生きた振動状態においてとらえる空前絶後のテクニックを、ほとんど一挙に作り上げたのだった。』

この中で、光の振動というニュアンスは興味深い表現だと思います。
フェルメールの絵に描かれた対象の滲んだような輪郭や、輝くような画面を上手く表現しているからです。
闇に対するものとしての象徴的な光ではなく、ただただ輝くものとしての光。
今でも絵の前から行列が途絶えること無いフェルメールの人気は、そんな純粋な光への賛同だったのかもしれません。

このただただ輝くものとしての光を現代都市に見出し、自らの表現を追及していた建築家がいます。
伊東豊雄さんによる論文、「光の表徴」(1977)に次のようにあります。

『木造家屋の鉄板屋根(中略)、中小ビルのガラス面、建物の間に垣間見る樹木もただキラキラ輝いてみえる。これら多くの反射光が輝く点の集合として、決して強くはないが広大で柔らかな光の織物をつくりあげている。(中略)
都市に建築をつくる時、この都市がつくりだした光の織物を断ち切って、そこにひとつの領域を囲い込むことになる。その時断ち切られた織の断面を、この領域の内部に表徴(しる)すことだけが私に可能な行為である。表徴(しる)すことは決して象徴化することではない。』

時代の表現を追求する伊東さんにとって、アノニマスな中小ビルや木造家屋の鉄板屋根からの反射光こそ、現代の光の姿だったのでしょう。そこには、古典建築にあるような、威圧感や重量感みなぎる光と影は無く、キラキラと輝く軽やかな光のみが捉えられています。

ところで、先の浅田さんの論文は1984年、伊東さんのそれは1977年のもので、四半世紀以上も前のものです。
それでは今、光を語るとすれば、どのようにそれを捉えれば良いのでしょうか?
私達が設計するときのキーワードをいろいろと思い出してみました。
光そのもではありませんが、というより真逆の言葉ではありますが、「木陰」という言葉で頻繁にコミュニケーションしていることに気づきました。
そして、この言葉、不思議なことに「光」も想像してしまいませんか?・・・・・



「木陰」を生み出すことで、その影絵のような光を見出す。・・・・・・・・・
まったく語義矛盾ですが、想像力を掻き立てるキーワードです。



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
光から木陰へ A.A.TH ああす設計室 blog/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる