創作云々

先日、オペラシティで開催されている建築家の伊東豊雄さんの展覧会と講演会に行きました。
展覧会の会場は、とても楽しくて、飽きのこない構成でした。例えば、スペースBは、靴をぬいで、起伏のある真っ白な床をよろよろ歩き、点々と置かれた模型を、一人掛けの椅子くらいの丸い穴にうずくまりながら観察する、という体験型の展示空間。まるで子供の頃、野山で虫を追いかけ、自然のくぼみで隠れんぼしたような感じです。BGMは、いわゆるアートっぽい電子音ではなく、石川セリの歌が流れていて、肩の力の抜けた感じがよかったです。
それにしても、台中オペラハウスの模型は圧巻です。うねる壁がせまり、映りこむ影をゆがませ、何もかもを包みのみ込む、作家でいえば川上弘美のうそばなしの世界、そんな感じです。ただ、床はやはりフラットなんですね。せんだいメディアテークも実際できあがってみると、コンペで見た、どこまでも透明で、ゆらめく柱だけが現れる模型と異なり、ガラスに空や木々が映りこむため、その存在感が顕著に出てしまい、少し残念でした。是非、台中では、床の存在感を忘れて、あの生命体のような壁に包まれる体験をしてみたいものです。
展示で、エマージング・グリッドという、次々に変化するグリッドの映像が流れており、建物のコンセプトを明確にあらわす手立てとして、とても興味深かったです。講演会のなかで伊東さんは、「普段、私たちは均質な格子(グリッド)で暮らしている。しかし、人々は生命力を徐々に失いつつある」と表現したように、私たちをとりまく都市や、あらゆるモノは、便利で、機能的であるけれど、考えようによっては不自由な鳥かごのようなものかもしれません。グリッドを変化させることで、想像もつかないような豊かな空間が生まれる。建築を考えるときに私たちが幾つも線を重ねたり、ずらしたり、曲げたり、座りのいいラインを当てど無く探していくのと同じような感覚でしょうか。
セシル・バルモンドとのコラボレーションである「サーペンタイン・ギャラリー」では、建物は運動している生命体。どこかで運動を止めて(成長の最中)、立ち上げたと表現していました。正方形に回転を加え、その過程の状態で建物全体が覆われています。紙を自由に切り貼りしたような軽快なデザインを見て、一方で創作だと言う人もいるでしょう。
卵が先かニワトリが先か、明確なコンセプト、恣意的じゃないもの、云々、そんな葛藤の中で、私が思うに、アントニオ・ガウディが生み出した作品は、天才の創作以外の何ものでもありません。ガウディの弟子達、モデルニスモの作品は、それとはほど遠いからです。それを踏まえると、作品が生まれるのに、理由が必要なのか分かりません。草や木や鳥や雲を形づくる理由などないのです。それじゃ、建築の議論にならないじゃないの、とお叱りを受けそうですが、私は、既に取り壊されてしまった中野本町の家の写真を見て、それが生まれ、死に至った経緯は知らずとも、崇高で純粋に美しいと感じ、この世にこの作品が無いことが残念に思えるのです。

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