誕生日に生まれた年を考える

そろそろ私の誕生日です。
私は1970年に生まれました。
建築の歴史では、お祭り広場(1970 丹下健三)、桜台コートビレッジ(1970 内井 昭蔵)、少しずれますが、中銀カプセルタワー(1972 黒川記章)、キンベル美術館(1972 ルイスカーン)などの名作が生まれた時代です。



社会的なニュースでは、大阪万博と三島由紀夫の立て籠り事件(1970)。そして、ビートルズの解散などがありました。少しずれますが、東大安田講堂事件(1969)、あさま山荘(連合赤軍)事件(1972)なども同時代の事件です。

当時の雰囲気を知る由もない私にとって、東大講堂、三島、あさまという出来事と、
万博やビートルズなどの出来事との間のギャップが、どうも上手く繋がらないという印象をずっと持っていました。
ハウジングである桜台コートビレッジや未来を信じて疑わないカプセルタワーは、成長する社会の象徴とも言える施設です。お祭り広場は、そんな経済大国化した日本を象徴するイベントだったと言って良いでしょう。
壮絶なあさま山荘事件ですら、カップラーメンという、消費社会に相応しい商品が広まるきっかけとして語られる時代に生まれた私にとって、先の三つの事件は、村田英雄が歌う万国博音頭の陽気なメロディーと、どう考えても馴染みが悪いのです。

1970年は、戦後すぐのベビーブームに生まれた団塊の世代(1947~1949)と言われる人たちが、ちょうど成人したくらいの年です。
そのとき、焼け野原からわずか23年(1968)で、日本は世界第二位の経済大国になっていました。
そんな晴れがましい復興と発展のなかで、あれらの事件をどう整理すれば良いのでしょうか?

建築家で批評家の鈴木隆之は、三島や連合赤軍事件について、次のように言っています。

『デュシャンが「もはや残されているのは選択しかない」という言葉と共に現れたように、近代主義に対するラジカリズムというのは、もともと行き詰りと空虚を認めてしまうところから出発していたのかもしれない。(中略)
近代主義をアバンギャルディズムととらえるなら、ポスト・アバンギャルディズムは、アバンギャルドなんてありえないのだ、という認識でこそあっただろう。ラジカリズムの行き詰まりは、空虚を発見してしまったことにあったのではなく、空虚を空虚のままうまく操縦できなかったことにあったと僕は考える。連合赤軍と三島の割腹が示したことは、空虚を意味や美などの「幻想」で充填しようとしたことによる「失敗」だったのではないか?』

1970年とは、表面的にせよ、豊かさや幸せを急速に実現した社会にあって、それら体制の転覆を目論むアバンギャルドな立ち居振る舞いが、もっとも滑稽に写った時代だったのかもしれません。
いずれにしても、大きく異なる価値観が社会で共存していた時代だったと言って良さそうです。

そして、現在の2012年。
3.11以降、脱原発を筆頭に、これまでの価値観に大きな見直しが迫られています。
もしかすると、これからの後半人生は、前半人生とはいろいろと異なる社会の中で、
暮らすことになるかもしれない。
ということを考える誕生日でありました。

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