住宅は建築か

これ読んでみたら、と旦那に1冊の本を渡された。ギャラリー・間 20周年を記念して、今年の2月まで開催されていた『日本の現代住宅 1985-2005』の連続講演会の全記録だ。まず、磯崎氏の「住宅は建築か」という刺激的なタイトルのつけられた章から読み始めた。
冒頭から、磯崎氏は、「住宅を一生懸命つくっている真面目な建築家たちに三度目の水を浴びせることになるだろう」と宣戦布告。学生時代、八田利也(ハッタリヤ)というペンネームで「小住宅ばんざい」という論文を書き、ひんしゅくを買ったという。住宅の頭に”小”とわざわざ付けたのも、”ばんざい”という明け透けなものの言い方も、人を挑発しようとしている。一目瞭然だ。磯崎氏は止まることを知らず、全般に渡って、「住宅は建築じゃないんだ」と強く、そして淡々と言葉を綴る。
私事だが、12年間、組織事務所で空港の設計に携わってきた。その後、独立して、現在は設計事務所を主宰している。独立して3年、メインは住宅の設計で、店舗のリニューアルや、時には、以前勤めていた組織事務所の仕事をする。特に、住宅の設計だけにこだわっている訳ではない。住宅だけしか設計したくない、と世の建築家のほとんどが本当に思っているのか疑問だ。住宅の設計しかやったことのない人は別にして。
住宅とその他の建築の大きな違いは、クライアントが個人かそうでないかだろう。建つ場所も、構造も、使われる材料もさして差はない。ただし、大規模建築となると、設計期間も長く(空港の設計は10年なんてザラ)、工事費も高く、そして、設計者も専門分野に分かれる。住宅以外の建築の場合、クライアント(会社や官公庁)のチェックも、担当者、その上司、またその上の部長、最後に社長や局長と、山頂を目指して心棒強く登り詰め、途中で覆されることもしばしばだ。設計者側ですら、色を決めるにも社内の上司の判断を仰がなくてはならない。
それに対して住宅は、建築家(だいたい一人)が好きなように設計し、クライアントである夫婦あるいは家族に賛同してもらえば、その計画は実現可能となる。とはいえ、それは生易しいものではない。どんな住宅に住みたいかという単純な問いかけに、はっきりと答えられるクライアントはほとんどいない。ある時、夜中に電話で、収納問題について、クライアントの家族全員に三者三様の主張をされ、どれにしたらいいでしょうか?と詰め寄られたことがある。またある時は、休み明けにどうやら夫婦喧嘩の末、必ず奥様から、設計を止めてくれと電話がくる。実例をあげれば切りがない。設計事務所は、お家騒動よろず相談所ではないと言いたくなる。
住宅は建築かという主題に戻ろう。磯崎氏は、核家族の崩壊した挙げ句の、今の日本を組み立てている家族、人間は一体なんなのか、どういう関係なのかと問い、住宅を扱うのなら一体何をテーマにするのかをよく考えたほうがいい、そうでなければ建築はやめてしまえ、と言う。たしかにそうかもしれない。崩壊した家族の溜め込んだお荷物を収納する場所なんて、いくらあっても足りない。段ボールがごろごろ、ホームレスとなんら変わりない。てんで違う方を向く人間の居場所、意味も無く、それを見栄え良く並べている錯覚に陥るのは私だけだろうか。
私自身を退廃的な人間だとは思わない。いじめや自殺や家族同士が殺しあう絶望的なこの世の中にも、その先はあると思いたい。この世に人間がいなくならない限り、その居場所は必要だから。

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